HOME > あの有名人も頭痛に悩んでいた

あの有名人も頭痛に悩んでいた
モーツァルト樋口一葉フロイト┃石川啄木┃後白河法皇バルザックバーナード・ショー芥川龍之介
パブロ・ピカソルイス・キャロルフィンセント・ファン・ゴッホチャールズ・ダーウィン曹操

石川啄木
(4)石川啄木 文学への夢を求めるが実生活は悩みの連続

数々の短歌は苦悩の実生活から生まれた
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず

はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る

詩人石川啄木の歌集「一握の砂」に出てくるこの短歌は誰でも一度は読んだことがあるはず。彼の短歌は普段の生活を題材にし、一首を三行書き表した表現は歌壇に大きな影響を与えました。
しかし彼の生涯は、順風満帆とは言えず、金銭観念の無さからの借金生活、嫁姑問題、病魔との戦いといつも問題を抱えて悩む日々の連続でした。


詩人を志すも借金と病で帰郷
1886年(明治19年)2月岩手県盛岡市に生まれ、岩手県盛岡中学校に入学した啄木は言語学者、民俗学者・金田一京助や野村長一(後の『銭形平次捕物控』の作者・野村胡堂)らの先輩と出会い文学の影響を受け、14歳の時には後の妻になる節子と出会います。しかし啄木は試験中カンニングを行い処分されたのをきっかけに学校を中退。詩人を志して上京しますが、翻訳などの仕事をしてもうまくいかず、金銭上の観念が皆無で借金も増え、肺結核を病み父に迎えられ失意の中、故郷に帰ります。
故郷に帰った啄木は先輩の野村長一に現状を伝え頭痛を訴える書簡を送っています。

「昨夜は頭痛眩暈(めまい)相ついで襲ふて、遂に一睡の安眠をもしたかったので、今夜の労れも一通りでない」
「頭痛はまた盛んになりそうになって来た」

啄木の頭痛は心配や不安などの精神的なストレスが原因で起こりやすくなる緊張型頭痛だったのかもしれません。


いくつもの職業を変え、念願の歌集を刊行
20歳の時、実家の寺が宗費を滞納したことから父は住職を辞めさせられ、生活能力のない長男・啄木が、家族を扶養することになります。明治38年、節子との結婚(しかし結婚という責任の重圧から啄木は自分の結婚式を欠席、花婿不在の結婚式になりました)。明治39年、長女京子が誕生。啄木は母校の代用教員や、北海道での新聞記者の仕事に就きますがどれも長続きはせず貧困の生活は変わりません。文学活動への夢が捨てきれず、その後家族を北海道に残し上京。金田一京助の下宿先に居候をして小説を執筆するも売れず、金田一が質入れして彼の生活を支えている状況でした。啄木は明治42年に東京朝日新聞の校正係として採用され、函館にいる妻子、母を東京に呼び、後に父も同居し家族5人で暮らします。明治43年長男真一が誕生しますが生後約1ヶ月で他界。同年12月に歌集『一握の砂』を刊行。明治45年啄木の母・カツが貧困の中で薬が買えない状況で肺結核になり3月に他界。その肺結核を啄木も患い翌4月13日他界。享年二十六歳二カ月。啄木死後の2か月後に第二歌集『悲しき玩具』が刊行されました。
家族を養っていくための責任と、文学への夢をいつも抱え悩み、頭痛が多かったことでしょう。啄木は辛い状況のなかでもその気持ちを短歌に詠み、彼の死後その短歌は多くの人に読まれ愛され続けています。

モーツァルト樋口一葉フロイト┃石川啄木┃後白河法皇バルザックバーナード・ショー芥川龍之介
パブロ・ピカソルイス・キャロルフィンセント・ファン・ゴッホチャールズ・ダーウィン曹操

<<あの有名人も頭痛に悩んでいた TOPへ




Get ADOBE FLASH PLAYER

Flashコンテンツをご覧いただくには、Adobe Flash Playerが必要となります。
最新のAdobe Flash Playerは Adobe社のWebサイトより無料でダウンロード可能です。