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あの有名人も頭痛に悩んでいた
モーツァルト樋口一葉フロイト石川啄木┃後白河法皇┃バルザックバーナード・ショー芥川龍之介
パブロ・ピカソルイス・キャロルフィンセント・ファン・ゴッホチャールズ・ダーウィン曹操

後白河法皇
(5)後白河法皇 三十三間堂は法皇の頭痛を治すために建てられた

「頭痛」だけは思い通りにできなかった
後白河法皇は平安時代第77代天皇として3年間の在位でしたが、幼い二条天皇に皇位を譲り上皇として天皇に代わって強大な権力をもち政治を行い、その後出家し「上皇」から「法皇」になり5代三十余年にわたって院政を行ってきました。
源氏と平氏の戦いを仕掛け、平清盛、源頼朝、源義経などの武士たちを巧みに利用して王朝権力の復興と強化に専念。その一方で信仰に厚く造寺や社寺参詣を行い、遊びごとを好み今様(当時の流行歌)を集成して「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」を集成したほか、朝廷が行う儀式「朝儀」の復興にもつとめ宮中および民間の年中行事を描いた「年中行事絵巻」を作らせました。
そんな後白河法皇も日頃は頭痛に悩んでいたそうです。何人もの武士を思い通りに動かしてきた法皇も「頭痛」だけは自分の思い通りにはコントロールできませんでした。


お告げで建立した三十三間堂
京都市東山区にある国宝・三十三間堂もそんな信仰が厚い法皇が平清盛に命じて建立した仏堂です。
多くの弓道家たちが集まり大会を行う「通し矢」でも有名な三十三間堂は正式名称「蓮華王院本堂」と言います。 三十三間堂の名称は、本堂の内陣の柱間が33あることによるもので、また33という数は経文に観音菩薩が33種の姿に身を変えて人を救うという数と言われています。
この三十三間堂が建てられた背景には後白河法皇の頭痛と深い関係がありました。
平安時代後期、和歌山県・熊野の地の熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)が阿弥陀信仰の聖地として信仰を集めるようになり、歴代の法皇・上皇などの皇族の参詣が相次ぐようになりました。ある時、後白河法皇は熊野参詣で頭痛の悩みを祈願したところ、お告げがあり「法皇の前世は熊野にあった蓮華坊という僧侶であった。仏道修行の功徳によって今世、天子の位につかれるくらい高貴な人物に生まれてきたが、その蓮華坊の頭蓋骨が岩田川の底に沈んでいる。その頭蓋骨を貫いて柳の木が生えていて、風が吹くと柳の木が揺れて頭蓋骨に触れ、法皇の頭が痛むのだ」ということでした。そこで、後白河法皇は岩田川(現在の冨田川)を調べさせたところ、川底から頭蓋骨が見つかり、柳の木を京に持って帰り、三十三間堂の千手観音に頭蓋骨を納め柳の木を梁に使ったところ後白河法皇の頭痛は治ったと言われています。正式名称の「蓮華王院」の名は前世の蓮華坊の名前がつけられています。


三十三間堂の頭痛封じの法要
この三十三間堂では、毎年、1月の成人式近くに的当ての技術を競う「通し矢」と「柳のお加持(おかじ)」という法要が行われています。正月に汲んだ初水を霊木とされる柳の枝で参拝者にそそいで加持する後白河上皇の頭痛平癒にあやかった頭痛封じの法要です。

出典:みくまのねっと「熊野の説話」より

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