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あの有名人も頭痛に悩んでいた
モーツァルト樋口一葉フロイト石川啄木後白河法皇バルザックバーナード・ショー芥川龍之介
パブロ・ピカソルイス・キャロル┃フィンセント・ファン・ゴッホ┃チャールズ・ダーウィン曹操

フィンセント・ファン・ゴッホ
(11)フィンセント・ファン・ゴッホ…独特の表現は頭痛の苦しみを訴えていた!?

激しい性格だった生涯はまさに「炎」!
生前はたった1枚の絵しか売れませんでしたが、死後に芸術性が高く評価され、最近ではその作品がオークションなどで高額な金額で競り落とされることも話題にもなる19世紀の絵画界の中で最も有名な画家・フィンセント・ファン・ゴッホ。彼はその情熱的な独特の画風と、エキセントリックな行動で「炎の画家」「情熱の画家」とも呼ばれています。
ゴッホは1853年3月30日にオランダで生まれ、父は牧師でしたが子どものころから性格が激しく頑固で気むずかしい性格をしていました。若いころには美術商で成功した伯父の紹介で画商として働いたり、伝道師をしていましたがどれも長続きはせず、その後デッサンを勉強して27歳で画家になります。
彼は画廊の支配人で、家族の中でただ一人の彼の理解者だった弟のテオを頼りにパリに移り住み絵を描き続けました。当時のパリは「ジャポニズム」が流行していてゴッホも浮世絵に夢中になり、模写や浮世絵独自の色彩や遠近法を取り入れた作品を描いていました。
35歳の時にゴッホはフランスのアルルに移り住み、滞在した15ヶ月の間に、「ひまわり」「夜のカフェテラス」「アルルのはね橋」など彼を代表する黄色を基本とした作品を描き上げています。アルルに住んだ彼は友人の画家のゴーギャンと共同生活をして絵画を制作していましたが、絵画への取組みの違いと彼自身の激しい気性から、ある日ゴーギャンに「自画像の耳の形がおかしい」と言われたゴッホは自分の耳たぶを切り落し、女友達に送り付ける奇行をおこし、サン・レミ・ド・プロヴァンスの精神科病院に入院してゴーギャンとの共同生活は9週間程度で終わります。入院中彼は「星月夜」「糸杉」などの作品を描き、この頃からゴッホの作品には、独特の「うねり」や「よじれ」が表現されるようになりました。
1年間の入院生活を過ごし、彼はパリ郊外のオーヴェル・シュル・オワーズで療養生活を始め70日間で60枚を超える油絵を製作しますが、1890年7月27日に家の中で自分の胸に銃を向け自殺をしました。
まさに彼の37年の人生と10年間の画家人生は「炎」のような一生でした。


頭痛に悩んだことが表われている晩年の作品
ゴッホは画家を志してから10年という短い画家人生の間に、油彩約900点、素描約1100点を制作しましたが、彼の絵画の特徴は絵の具を塗るというより絵の具を盛るタッチが有名です。
また作品で黄色を多く使った作品が多く、すぐに黄色の絵の具がなくなっていたので、弟のテオに手紙を出す時はいつも「黄色の絵の具を買ってきてほしい」と書かれていたほどでした。
彼はいつも頭痛に悩み、その原因が激しい気性の精神障害と言われて頭痛は悪くなる一方だったので、晩年の「ローヌ川の星月夜」「星月夜」などの作品は、星が放射状に光線が出てとりまいていたり、空や雲がうねりうずまき、木の生え方がうねっていたりなど頭痛に悩まされていたことを絵画で表現しているといわれています。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、『頭痛大学』
『オランダアート倶楽部 / オランダ政府観光局』、『19世紀絵画教室』

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