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あの有名人も頭痛に悩んでいた
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パブロ・ピカソルイス・キャロルフィンセント・ファン・ゴッホチャールズ・ダーウィン┃曹操┃

曹操
(13)曹操…自分の頭痛の主治医を拷問死

今なお絶大な人気の三国志の武将たち
今から約1800年前の中国は、後漢末期から西晋時代になるまでの魏・呉・蜀の三国が天下統一を戦っていた戦国時代でした。
当時を描いた歴史小説「三国志」は、日本でもビジネスマンの間で「部下に読ませたい本」でも上位に選ばれ、この時代を題材としたゲームソフトも人気になり、最近では曹操軍と孫権・劉備連合軍の合戦・「赤壁の戦い」を題材にした映画『レッド・クリフ』も公開。
その人気はどれだけ三国志のことを知っているかを検定する「三国志検定」もあるほど三国志時代に活躍した武将たちは今でも多くの人に愛されています。


天下統一を目指した曹操
「赤壁の戦い」で孫権・劉備連合軍と戦った曹操(そうそう)(155-220) は、若い頃から頭角を現し、後漢時代に君主を補佐した最高位の官吏になりました。黄巾の乱討伐などの活躍により曹操の名前は全国に知れ渡り、彼の元には多くの知識人や武将が集まって、その勢力は拡大し中国全土の2/3になり三国時代の魏の基礎を作りました。
中国の小説『三国志演義』の中では曹操は、天下を取るため自分本位な冷血行動などが強調され悪役として描かれていましたが、日本では吉川英治や北方謙三の小説『三国志』の中で曹操が主役として描かれています。また武将としてだけでなく曹操は文人として『孟徳新書』という孫子の兵法書の注釈を書き残し、また詩人として数多くの作品を残し、三国志時代の武将たちの中でも人気が高く支持されています。


戦に負け、頭痛に悩む曹操
曹操は208年、南部を支配し、天下統一を目指した「赤壁の戦い」で孫権・劉備連合軍に大敗、その後、219年、劉備と漢中の覇権を争い激突。「定軍山の戦い」で、いとこの夏候淵を失い、さらに自分も矢を受け負傷し退却。漢中を劉備に奪われました。

このころから曹操は頭痛に悩み、当時の中国の名医の華陀(かだ)を召しかかえ主治医として診察を受け、鍼灸などで頭痛の治療を行っていました。しかし華佗は自分が学識のある官僚として待遇されず、まだ当時は社会的地位が低かった医者としてしか曹操に見られないことを残念に思い、医書を取りに行くといって故郷に戻り、二度と曹操の元に戻ってきませんでした。曹操はこれを怒り華佗を投獄し、拷問の末に殺してしまい頭痛の治療ができないまま220年、病が悪化し天下統一の夢半ばで病没してしまいました。

もし、曹操が華佗を手厚く待遇して、頭痛を治してもらっていたら三国志の歴史も変わっていたのかもしれません。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、『頭痛大学』

モーツァルト樋口一葉フロイト石川啄木後白河法皇バルザックバーナード・ショー芥川龍之介
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